大阪地方裁判所 昭和42年(手ワ)4182号 判決 1969年10月23日
原告 広瀬武こと 趙金玉
右訴訟代理人弁護士 家近正直
右訴訟復代理人弁護士 出島侑章
右訴訟代理人弁護士 鷹取重信
被告 株式会社エーワンベーカリー
右代表者代表取締役 楊伝枝
右訴訟代理人弁護士 中元兼一
右同 中村俊輔
右同 増田淳久
右同 渡辺慶治
主文
原告の第一次的請求を棄却する。
予備的請求につき被告は原告に対し金一、八四〇、〇〇〇円、及びこれに対する昭和四二年一一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、原告において金六〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、原告勝訴部分に限り仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、第一次的請求として、「被告は原告に対し、金二、〇〇〇、〇〇〇円、及びこれに対する昭和四二年一一月二五日から完済までの年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、ならびに仮執行の宣言を求め、予備的請求として、主文第二及び第三項と同旨の判決、ならびに仮執行の宣言を求め、
第一次的請求の原因として、
「(一)、原告は被告振出にかかる別紙目録記載(1)、(2)のとおりの約束手形二通の所持人であるが、これを取立受任者伊予銀行を通じて各満期日に支払のため支払場所に順次呈示したところ、いずれも支払を拒絶されたから、ここに被告に対し右手形金合計金二、〇〇〇、〇〇〇円、及びこれに対する最終満期日である昭和四二年一一月二五日から完済まで手形法所定年六分の利息金の支払を求める。
(二)、仮りに、本件各手形が訴外河田哲司によって振り出されたとしても、
(1)、同訴外人は被告の経理部長もしくは経理担当責任者として手形作成の職務を担当し、会社印、被告代表者に記名印及代表者印の保管をゆだねられ、これらの印顆を使用して、被告代表者の代わり被告名義の手形を振り出す権限を有していたもので、本件手形二通も同訴外人が右権限によって振り出したものであるから、被告には振出人としての責任があり、本件被告代表者名下の印影が、被告主張のように転写の方法により顕出されたとしても、その効果にはなんらの消長をきたすものではない。
(2)、仮りに、本件手形のように高額の手形を振り出すについては、被告代表者の個別的な承認を受けることを必要とするにかかわらず、訴外河田においてその承認を得ないで本件手形を振り出したとしても、当時、同訴外人は被告の経理部長として経理事務に関し広汎な範囲で被告代表者を代理する権限を有し、その保管にかかる会社印、被告代表者の記名印及び代表者印を使用して被告名義の手形を振出す権限を有していたのであって、同訴外人から本件手形二通の交付を受けた訴外吉井薫において、訴外河田に本件手形を振り出す権限があるものと信じ、このように信ずるについて正当な事由があったものであり、原告もまた、正当に振出されたものと信じて訴外吉井から訴外宇都宮繁市の裏書を経て本件手形二通を取得したものである。従って、被告は原告に対し、民法一一〇条により本件手形の振出人として責を負うべきである。」と述べ、
予備的請求の原因として、
「(一)、仮りに本件各手形が訴外河田哲司の偽造にかかるものであるとしても、被告は使用者として被用者たる右訴外人の不法行為にもとづき原告が蒙った損害を、民法七一五条により賠償する義務がある。即ち、訴外河田は被告の経理部長もしくは経理担当社員として、被告の手形振出に関し、手形用紙に、自ら保管する被告の社印及び被告代表者の記名印を押捺し、代表取締役がその名下に印顆を押捺しさえすれば、該手形が完成するばかりに手形要件を記載し、かつ完成された手形をその受取人に交付する職務権限を有し、取引銀行との当座取引残高の照合、出納に関する事務を担当していたところ、右権限を乱用し、本件手形二通の各振出人名下に被告の代表者印を無断で押捺し、仮りにそうでないとしても、被告代表者の印影を転写する方法により本件手形二通を偽造したうえ、これを訴外吉井薫に交付したものであって、同訴外人の右手形偽造行為は、事業執行の範囲に属することはいうまでもないから、被告は同訴外人の使用者として、右偽造により第三者が蒙った損害を賠償する義務がある。ところで、原告は、昭和四二年八月末日、訴外宇都宮繁市の白地裏書により本件手形二通を取得した訴外吉井から交付の方法によりこれを取得―割引―し、同訴外人に対して割引料合計金一六〇、〇〇〇円を控除した残額一、八四〇、〇〇〇円を支払ったところ、本件手形が偽造であったことにより、結局原告は右割引相当額である金一、八四〇、〇〇〇円の損害を受けた。よって、ここに被告に対し、金一、八四〇、〇〇〇円、及びこれに対する右損害発生の後である昭和四二年一一月二六日から完済まで、民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。
(二) 被告は、原告において、本件各手形裏書人である訴外宇都宮繁市に対し手形請求権を行使しうるから損害の発生がないと主張するけれども、所持人が裏書人に対し手形請求権を行使し得ることと、手形振出偽造による損害賠償債権発生の有無とは関係がないから、被告の右主張はそれ自体理由がないのみならず、原告の訴外宇都宮に対する本件各手形遡求権は時効により消滅しているので、これを行使することは不可能である。」と述べ、被告の抗弁事実を否認し、「訴外河田は前記のとおり被告の手形行為に関する事務を担当する地位にあり、約一年間に亘り、数百通に及ぶ被告振出名義の手形を偽造していたにもかかわらず、被告においてこれを感知することなく、放任していたのであるから、被告は、同訴外人に対する選任監督につき注意を怠っていたというべきであり、従って、使用者責任を免がれることはできない。」と述べ(た。)≪証拠関係省略≫
被告訴訟代理人は「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の第一次的請求原因に対する答弁として、
「(一)、原告主張(一)の事実中、被告が本件手形二通を振出した事実を除くその余の事実はこれを認める。本件手形二通は、被告名義の手形を振り出す権限を有しない訴外河田哲司が、各手形振出人欄の被告代表者名下に、他の小切手等を正当に押捺されていた被告代表者の印影を謄写版用原紙を用いて転写する方法により顕出し、もってこれを偽造したものである。
(二)、(1)、原告主張(二)(1)の事実中、訴外河田が被告の経理部長として、金融に関する手形作成の事務等の職務を担当し、被告の代表者印を使用し被告代表者を代理して被告名義の手形行為をする権限を有した事実を否認する。被告においては、手形行為をする権限は代表取締役の専権に属する。
(2)、原告主張(二)(2)の事実中、訴外河田が被告の経理事務一般に関し広汎な代理権を付与され、被告代表者印その他の印を使用して被告名義の手形を振り出していた事実及び訴外吉井薫が、本件手形二通を訴外河田から交付される際、訴外河田に被告名義の本件手形を振り出す権限があると信じ、かつ、このように信ずるについて正当な理由があった事実を否認する。」と述べ、
予備的請求原因に対する答弁として、
「(一)、原告主張の事実中、被告の被用者である訴外河田が前記のとおり被告代表者の印影を転写する方法により本件手形二通を偽造したことは認めるが、同訴外人が原告主張のような職務権限を有していた事実を否認する、原告が訴外吉井薫に対し合計金一、八四〇、〇〇〇円の割引金を支払い本件手形を取得した事実は知らない。
(二)、原告は訴外河田の本件手形の振出偽造によって損害を受けていない。即ち、原告は、弁済の資力ある本件手形裏書人訴外宇都宮繁市に対し手形遡求権を行使することにより本件手形金の弁済を受けうるから損害が発生していない。」と述べ、
抗弁として、
「仮りに訴外河田の本件手形の偽造が被告の業務執行の範囲でなされ、原告がこれにより損害を受けたとしても、被告において、訴外河田に対し相当の注意をなしても損害の発生を防止することができなかった事情があるから、被告は、民法七一五条一項但書により使用者責任を免がれる。即ち、訴外河田は、前記のとおり、本件手形振出人欄の被告代表者名下に代表者の印影を顕出するにあたり、他の小切手上に正当に押捺されていた被告代表者名下の印影を、謄写版原紙に写しとり、これを更に本件手形に転写する方法を採ったものであるから、被告において、同訴外人の選任、監督につき相当の注意をなしても、本件損害の発生を防止できなかった。」と述べ(た。)≪証拠関係省略≫
理由
第一、まず原告の第一次的請求について判断する。
一、請求原因事実のうち、原告が、その主張の要件を記載した本件手形二通を所持し、これを取立受任者たる伊予銀行を通じて各満期日に支払のため支払場所に順次呈示したところ、いずれも支払を拒絶されたことは当事者間に争いがない。
二、本件手形が被告によって振出された事実については、原告がその証拠として提出し、被告において振出人欄の被告代表者名下の印影が被告のものであることを認めている甲第一号証の一及び二の各被告名義の振出部分は、≪証拠省略≫に対比して、これを真正に成立したと推定することができないから、これを振出事実認定の資料とすることができず、他に被告振出の事実を認めるに足る証拠がない。却って≪証拠省略≫を総合すると、昭和四二年七月頃、被告の経理係事務員であった訴外河田哲司が、被告の営業資金を横領したことを糊塗し、いわゆる経理の穴埋めをする目的で本件手形を偽造したことが認められる。即ち、訴外河田は、被告の経理係として、帳簿類の作成、金銭出納事務などを担当したほかに、経理担当取締役滝本ならびに代表取締役を補佐し、被告振出名義の手形、小切手に関しては、右滝本の決裁を得たうえ、手形用紙に、被告の社印、代表取締役の記名印等を使用して、手形要件を記入し、これを代表取締役に提出してその名下に代表者印の押捺を受けて完成されたものを受取人に交付する職務を担当していたところ、前示年月頃、前示目的をもって勝手に被告の手形用紙、社印、代表者の記名印等を使用して本件手形の各要件を記入し、被告代表取締役の名下には、既に正当に作成されていた他の手形若しくは小切手の被告代表取締役名下の印影に謄写版用原紙を当て、その上を印判の頭部でこすりつけて右原紙に右印影を写し取ったものを、更に転写する方法によりこれを顕出し、もって本件手形二通を偽造し、これを訴外吉井薫に交付して、同人から割引金として合計一、八〇〇、〇〇〇円を受領したことが認定でき、右認定を左右するに足る証拠がない。
三、原告は、訴外河田に被告名義の手形を振り出す代理権があった旨主張するけれども、同訴外人には右権限がなかったことは前示のとおりであるから、右主張は採用できない。尤も、≪証拠省略≫によると、当時訴外河田が経理部長という名称を事実上使用し対外的に行動していたことが認められるが、この事実から、同訴外人に被告名義の手形振出代理権限があったということができない。
四、次に、原告主張の表見代理(民法一一〇条)の成否につき判断する。
原告は、訴外河田が被告の記名印、代表者印を使用し、被告代表者の手形行為を代行する基本代理権を有していたと主張するけれども、前示認定のように、訴外河田は手形要件の記入など手形発行の準備と、代表取締役自らが名下印を押捺することにより完成された手形を受取人に交付する職務を有していたのみで、原告主張のような基本代理権を有しなかったのであるから、右代理権を有することを前提とする原告の表見代理の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
第二、次に原告の予備的請求について判断する。
一、およそ被用者の行為が、使用者の事業の執行につきなされたというためには、被用者の行為が、その外観からみて使用者の業務執行とみられることをもって足り、たまたま被用者が業務を不当に執行した場合においても、これを使用者の業務執行につきなされた行為であるということを妨げられないと解すべきところ、すでに認定した事実関係のもとにおいては、訴外河田の本件手形偽造行為が、被告の事業の執行につきなしたものと認められるべきことは、前説示したところからみて多言を要しないところであるから、被告は、被用者たる訴外河田の本件手形偽造なる不法行為により、第三者たる原告が蒙った損害を賠償する義務を負うといわねばならない。
二、よって原告の蒙った損害について考えてみるに、≪証拠省略≫を総合すると、原告は昭和四二年八月末日ないし同年九月初め頃、訴外吉井より割引依頼を受けた訴外遠藤進に対し、割引金として合計金一、八四〇、〇〇〇円を交付して本件手形を取得したことを肯認することができ、右認定を覆えす証拠がないから、他に特段の事情がない本件においては、原告は、右割引と同時に、右割引金と同額の損害を蒙ったといわねばならない。従って被告は、原告に対し右割引金と同額、及びこれに対する割引金支払時以後である昭和四二年一一月二六日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
ところで、被告は、原告において、弁済資力のある本件手形裏書人訴外宇都宮繁市に対し遡求権を行使することにより、原告は手形金債権の弁済を受けることができるから、原告には、本件手形振出偽造による損害が発生していないと主張するので検討する。およそ、裏書人に対する遡求権と、手形振出偽造による損害の賠償請求権とは、その発生原因及び性質が異なるのみならず、債務額の面からみても両者は必ずしも同額ではない(却って、遅延損害金の利率は常に異なる。)のであるから、偽造手形を取得したことにより損害を蒙った手形所持人は、裏書人たる前者に対する遡求権と、手形偽造による損害賠償債権を並列的に行使し得ると解すべきであり、遡求権の行使により手形金の全部又は一部の弁済を受けたときは、弁済を受けた限度において損害額も減少したことになるに過ぎず、右弁済が損害賠償請求訴訟における口頭弁論終結の後になされた場合には、請求異議の理由として主張し得るに過ぎず、従って、裏書人によって手形金が現実に弁済された事実が存しない限り、裏書人の弁済資力の有無や、これに対する遡求権行使の有無は、手形偽造による損害賠償請求を判断するにつき、これを斟酌することを要しないといわねばならないから、被告の前記主張は、本件手形裏書人訴外宇都宮に本件手形金償還能力があるかどうかについて判断するまでもなくそれ自体失当である。
三、次に、被告の、被告において訴外河田に対し相当の注意をなしたにもかかわらず本件偽造が行なわれたとの抗弁につき判断する。
≪証拠省略≫によると、被告代表者の印顆は被告代表取締役楊伝枝が常時所持し、その保管については相当の注意がなされていたことを認めることができるが、他方訴外河田は昭和四一年七月頃から昭和四二年九月末頃までの間合計五〇ないし六〇通の被告名義の手形、小切手を偽造していたのにかかわらず被告において右偽造行為を感知することなく看過していたことが認められるところであるから、右事実を考え合わせるときは、被告が同訴外人に対する監督につき相当の注意をし、又は相当の注意をしても本件偽造―本件損害―が生ずべかりしときに該当するということができず、他に民法七一五条一項但書所定の免責事由を肯認するに足りる証拠がない。
第三、よって、被告に対し前示損害金および遅延損害金の支払を求める原告の予備的請求を正当として認容し、第一次的請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一六六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下出義明 裁判官 内園盛久 坂井宰)
<以下省略>